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そば対州庵 対馬の小茂田浜神社と海水浴場 石屋根倉庫2日目⑤

古事記によれば壱岐・対馬は、男神の伊邪那岐(イザナギ)と女神の伊邪那美(イザナミ)の二柱の神によって生まれました。
全部で14島生んだようですが、壱岐は5番目、対馬は6番目に生んでいます。

神々の島と言われる壱岐・対馬は、神社がたくさんあります。

壱岐には神社庁(神社をまとめる宗教法人)に登録されている神社が約150社あり、対馬には約130社あります。多いですねぇ。

そして、
平安時代の927年、醍醐天皇の命により藤原時平らが法律をまとめた“延喜式神名帳”によれば、当時祭りを行う“官社”に指定されていた神社が、壱岐には24社、対馬には29社あります。
九州全体で109社あるということで、壱岐・対馬で半数を占めているんですね。

全部を周ろうには時間が足りません。

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琴の大銀杏を見た後、車に戻りさらに南下します。
ここ対馬はトンネルも多いんです。
岩山を切り開いて道を作ったんですね。

お腹もすいてきましたが、下島の厳原町に着くまでは我慢我慢です。

13時はとうに過ぎていました。
今回旅の計画に入れていた“うどん茶屋”。

ここはうどん屋なのに、海鮮丼が美味しいとのことで楽しみに走ってきました。

いざ着いてみると、休業日・・・。

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ガーン!!

火曜は営業してるはずでしょ!(ネットでは水曜が定休日となっていました)

お店の玄関まで来てみると“3日間臨時休業します”と張り紙が。

諦めました。
初日にモスバーガーを食べた場所、ショッピングセンターの中に“対州庵”があります。
ここでエビ天の入った対州そばを食べました。

もちろん十割そばです。
対馬は一番最初に、大陸からそばが伝わった場所です。
そば粉100%。

おいし~い!!そばもエビもおつゆも全てが美味い。
大満足です。でもそばだけじゃお腹が満たされないな・・・。

お店を出て、ショッピングセンターの2階でお土産を買います。
この時点で15時前です。

次に向かったのが小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)

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今回も2回目。
国のために当時68歳で亡くなった宗助国(そうすけくに)を祭神とし、同様に一緒にいた将兵も祀っています。

1274年の10月5日に、900隻の軍船に元冠(げんこう)3万3千人が対馬に来ます。
うち約千騎が小茂田浜に上陸。
それを宗助国はわずか80余騎で立ち向かいましたがあえなく・・・。
その後元冠は壱岐を荒らし、博多湾へ。

元寇とは鎌倉時代中期、当時大陸を支配していたモンゴル帝国・その属国である高麗のことです。

ここは元寇が上陸した地であると伝えられていますが、当時の海岸線は今より500m程度内陸だったそうで、実際は小茂田の金田小学校あたりではないかと言われています。

今は昔の面影もなく、静かな神社です。

社殿向かって左の小道を歩いていくと、目の前は小茂田浜海水浴場

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もう10月なので泳ぐ人は誰もいません。
港の漁師ふうのおじいちゃんが一人散歩しています。

東屋のベンチに座り海を望みながら、朝おばあちゃんから買った海老名名月堂のかすまきを頂きます。

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うん、うまい!!
あんこがちょうどよい甘さで、外側の生地もふわふわ。どらやきみたいで食後のデザートにぴったり。
黒あんもいいけど、私は白あん派。
途中厳原町のパン屋さんにも寄ったので、外側がパリッとしてるバターたっぷりの甘いパンも一緒に食します。
これでお腹も満たされました。

私、今回の旅でアーシングもしようと思ってたんですよね。

方法は簡単。地面を素足で歩く!
足裏には末端神経が集中しているんですよ。

素足で地面と繋がることによって、溜まっている電気を体外に放出し、大地のエネルギーを体に取り入れます。
電気を通す塩分のある海水に浸ると、さらに効果的です。

砂浜を素足でさくさく歩きます。
素足で地面を歩くのは何年ぶりでしょうか。
ていうか海に来る事自体、10数年ぶりです。

波打ち際まで来ました。

数回に1度、激しい波が来ます。
ジーンズをふくらはぎのとこまでまくり上げましたが、濡れました。キャッ!

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足裏の地面と触れ合っている感触と、波の音、さわやかな気候。
静かです、ただ波の音だけ・・・。

命の洗濯ができました。
皆さんもぜひ。

その後近くの石屋根倉庫へ。去年も来ました。

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現在残っている石屋根倉庫は、ほとんどが大正初期~中期に完成したもので、屋根を板状の岩で葺いたものです。
衣類や布団、穀物を中心とした食糧、生活用品を保管していました。

対馬の集落では火災の焼失から守るため、母家から離れた場所に倉庫を建てるという習慣がありました。

石が使われているのは強風に吹き飛ばされないため。
瓦は高価だったので地元で取れる石の方が購入しやすかったから。
石屋根は耐久性があり、葺き替えをしなくてもよいから。
火事の延焼を防ぐため。
といった理由があるようです。

湿気に悩むことなく保存状態がよいので、現在も使っているそうです。
今では瓦に吹き替えられているものも多く、石屋根も数を減らしつつあります。

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そういえば去年石屋根だったものが、今年は瓦屋根に変わっていました。
ちょっと寂しいですね。

次は江戸時代朝鮮通信使の目的 鮎戻し自然公園と民宿くろいわ対馬2日目⑥です。

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